2008年10月半ば、ぶらりと一人旅に出かけた。行先は長年あこがれていた会津若松方面。紅葉も見ごろかと期待して出かけたが地球温暖化の影響なのか、少しはやすぎたのか?期待した紅葉は見られなかった。しかし美しい景色や暖かい人情に触れることのできた楽しい旅であった。以下順を追って振り返ってみたい。
10月16日(木)
19時35分発東京行きバスは10分遅れで到着した。このときいやな予感がしたのである。
乗務員の話では、東名高速が集中工事で遅れるので中央道へまわります。したがって東京着は予定より遅れるということであった。
バスの中は3列シートとなっており、140度くらいのリクライニングで毛布もあり眠れないことはないが、少し神経質な人は無理かもしれない。私は睡眠薬(アルコール)を入れておけばよかったのだが、トイレが気になって飲まなかったため寝つきが悪かった。途中大地震の夢をみて飛び起きたが工事中の道路を走っていたのか、すごい振動と音で目が覚めたのだった。
朝、カーテンを開けて窓の外を見ると富士山が右手に見える。しかしその姿は写真でいつも見る静岡側からの姿であった。右手に見えていたということは由比か興津の辺りを走っていたのだ。
再び乗務員の説明あり。昨夜中央道へ迂回するはずのところ中央道が事故で通行止めになっていたためやむなく工事渋滞の東名へ突入しました、とのこと。やれやれ!
10月17日(金)
東名高速道路は集中工事月間とかで最初から遅れることはわかっていたらしい。連絡もないので東北新幹線の指定切符は無駄になってしまい、自由席で郡山へ!すべてが2時間遅れの行動となったがなんとか会津若松で鶴ヶ城だけは見物することができた。お城からホテルへ帰るタクシーはクラシックカーに乗り合わすことができて幸運だった。
駅前ホテルの経営する温泉に入って、さっぱりして夜の食事のため小さな居酒屋に入った。タクシーの運転手さんに教わったところである。「盃爛処(はいらんしょ)」。居合わせた人は親切で、山口から来たといってもいやな顔をせずに「この酒飲みなんしょ」と言ってくれた。この店はお勧めである。ここへ行くだけのためにももう一度会津若松へ行きたい!仕上げは駅近くの喜多方ラーメンの店で。うまかったぁ〜(ズル)
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JR磐越西線・会津若松駅 |
鶴ヶ城(会津若松城)の雄姿 |
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鶴ヶ城天守閣からの眺望 |
茶室麟閣塀沿いのこすもす |
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麟閣塀越しの城郭 |
偶然 このタクシーに乗れた。 |
10月18日(土)
今日のメインは、裏磐梯の五色沼と桧原湖の探勝路をトレッキングすることである。まずは早朝会津若松駅前のホテルを出発し、JRで喜多方駅に向かった。喜多方から裏磐梯方面に出る路線バスで五色沼入口下車。裏磐梯ビジターセンターから五色沼探勝路に入り裏磐梯高原駅までの4km弱をゆっくり歩くことに。最初の毘沙門沼と最後の柳沼が周囲の景色とも相まって良い景色であった。あとの小さな湖沼は周囲が雑木や雑草で覆われ眺めも悪い。自然保護法とかで手がつけられないのだそうだ。もったいない話ではある。今日の宿は猪苗代湖畔裏磐梯のふもとにある瀟洒なペンション「のどか」。先年奥様を亡くされて男手ひとつで切り盛りされているオーナーの手料理はなかなかのものである。ワインも飲み放題であったが翌日のことを思うと家でのようには飲めないものである。朝の食事も手作りパンなのだ。近くにはゴルフ場やスキー場があり年間を通して利用お勧めのところである。
10月19日(日)
いよいよ旅の最終日である。貧乏性はいかんともしがたく3日も家をあけると心配になってくるのである。朝ペンション「のどか」のマスターのご厚意で猪苗代駅まで送っていただき、快速「あいづライナー」で郡山へ。郡山から新幹線「なすの」東京〜新大阪〜徳山と新幹線ひかりを乗り継いで貧乏旅行の幕を閉じました。お世話になったみなさん、ありがとうございました。
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